アテルイとモレの慰霊碑とは?
音羽の滝から仁王門へ戻る道の途中に建つ
“アテルイとモレの慰霊碑”について。
アテルイとは、平安時代初期の蝦夷(えみし=東北地方)の
軍事指導者です。
侵攻して来た朝廷軍と勇敢に戦ったものの、
最後は坂上田村麻呂に敗れ、降伏しました。
その武勇、器量を惜しみ、
田村麻呂は、朝廷に助命嘆願しましたが、貴族達の反対に合い、
その願いは聞き入れられず、
アテルイは母モレとともに河内の国で処刑されたということです。
慰霊碑は平安建都1200年を期し、1994年に建立されました。
坂上田村麻呂は、妻の病気平癒のため、薬になる鹿の生き血を求め
音羽山に入ったところ延鎮上人と出会い、殺生の罪を説かれ、
観音に帰依した軍人です。
後に征夷大将軍として蝦夷平定を命じられた坂上田村麻呂は、
若武者と老僧(観音の使者である毘沙門天と地蔵菩薩の化身)の
加護を受け、戦いに勝利し、
無事京都に帰還したということでした。
インディアンとか、アイヌとか、ハワイとか、琉球王国とか。
歴史って、結局、侵略の歴史やん。
田村麻呂さんは、
東北の従わない連中を野蛮と侮蔑するでもなく、
敵に素直に感服するあたり、
度量のデカい立派な人物やったんちゃうかなと
思うけど、でもアテルイさんとモレイさん親子、
きっとプライド高かったやろうし、
命は助かったとしても、従順に従うことはできひんかったんとちゃうかなー。
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